#あたシモ

アメリカで働くレズの徒然

映画『ザ・グレイ(凍える太陽)』は怖い映画ではなく希望の映画だ

「アラスカ」の出てくる映画を二つ見た。ひとつは、『ザ・グレイ』(原題:『The Grey』、旧邦題:『THE GREY 凍える太陽』)。

ザ・グレイ [Blu-ray]

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Fionaと二人で「二人の選ぶ怖い映画ベスト」リストを作ろう!としだから時に、彼女が提案した映画のひとつがこちらだった。以下ネタバレを含むのでご注意。

【あらすじ】

アラスカの石油採掘場で働く作業員たちの乗った飛行機が、嵐に巻き込まれて墜落。アラスカの山中に不時着。生き残ったオットウェイらは、自分たちがハイイロオオカミの縄張りに入り込んでしまったことに気付き、救助を待つよりも、その場から逃げたほうがよいと考えた。生きて帰るべく南へ向かう生存者を、アラスカの厳しい自然が襲う。

狼王ロボ (シートン動物記)

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……というようにこの映画は、一見すると「人対狼」という構図のサバイバルものなのだが、実はリーアム・ニーソン演じる主人公が「生きよう」とするまでの再生の物語でもある。主人公は、冒頭から「失った妻」への手紙を書き、自殺を試みるなど、非常にメソメソしている。しかし、アラスカに放り出され、狼に襲われた時、狼ハンターとして働いていた彼は自動的に狼と戦っている。おそらく、プロフェッショナルとして狼と対峙してきた彼の体には、狼と対処するための動きが備わっていたのだろう。狼について何も知らない仲間たちに「生き延びるための知恵」を教え、命を落とした仲間たちの形見である財布を家族に届けようと移動し続けながらも、主人公は何かそういう「自分に与えられた役割」を忠実にこなしているだけ、という印象を与える。自らの内部から沸き上がってくる「生き延びたい」という欲望が今いち感じられないのだな。

しかし、過酷なアラスカの自然のなかで、一人ひとり命を落としていく仲間たち。仲間がすべて死に、最後の一人になった主人公は、もはや誰かを役割を見失い、瞬間生きる望みを失いそうに見える。大事にしてきた、仲間の財布を一つずつ雪の上に並べながらうつむく主人公はもはや冒頭と同じくらい「死」の近くに位置しているように見える。

だが、その時、彼は狼に囲まれていることに気づく。これまでの単なる狼ではない。群れの「ボス狼」がいるのだ。主人公は残された装備を使って武器を作り、ボス狼に立ち向かう。さあ、勝つのはどっちか?戦いの火蓋が切って落とされる……というところで、エンドクレジットが流れる。

「結局、どっちが勝ったんだ!?」

「主人公は生き残ったのか?」

怒りを含んだ反応を呼び起こしているこのラストシーン。主人公が生き残ったのかどうか知りたくてたまらない観客のためか、実はエンドクレジットの後に「おまけ」として、それでも「どちらが勝ったのか」については解釈の余地の残るシーンが挿入されているが、わたしはそれすら、不要だと思った。

主人公が生き残ろうが、死のうが、どうでもよい。彼にとっての「戦い」はすでに終わっているのだ。妻を失って以来、生きる屍のようになっていた主人公。しかし、最後死を覚悟しながらも、ボス狼に立向う主人公の目には生きたいという輝きが宿っていたのだから。だから、彼は「勝った」のだ。それは、例え彼が狼の牙にかかって倒れたとしても、変わらない。いや、彼は、狼に立ち向かっていく時、もはや自分が勝ち残る可能性はほぼないと考えていたのかもしれない。彼が最後に呟く、父親の作った詩がそれを表している。

Once more into the fray Into the last good fight I’ll ever know. Live and die on this day… Live and die on this day…

知る限り最高で最後の戦いへ、もう一度挑む。その瞬間彼は「生きる」のだ。例えその日に死ぬとしても。

この映画はわたしにとっては「怖い」ものではなかった。またミステリーやサスペンスという感じでもない。そういう恐怖映画風の味付けがなされているのは事実だが、自分がちっぽけに思えるほどの大自然のなかで、生きる気力を取り戻すというもっと希望に満ちたものだと思えた。