#あたシモ

アメリカで働くレズの徒然

映画『ジャンゴ・繋がれざる者』の感想

映画『ジャンゴ・繋がれざる者』を観た。

【あらすじ】

ディープサウス。奴隷のジャンゴ(ジェイミー・フォックス)は、ドイツ系賞金稼ぎのドクター・キング・シュルツ(クリストフ・ヴァルツ)の追うターゲットの情報を持っているということでシュルツに「買われ」、その後は奴隷ではない自由人として協力するようになる。賞金稼ぎとしてチームを組んだ彼らは、ジャンゴの妻ブルームヒルダ(ケリー・ワシントン)を奪い返すために、キャンディーランド農場へ向かう。フランスかぶれで残酷でいかすけない農場主カルヴィン・キャンディ(レオナルド・ディカプリオ)を騙そし、妻そこで計画が見破られ……!

タランティーノ監督の作品でちょっと昔のものだが、面白かった。

……と簡単に書いてしまってよいのだろうか?

わたしは、この映画が西部劇であることすら知らず、奴隷制をテーマにしたものであることも知らずに観たため、そのテーマと暴力性の強さに、かなりショックを受けてしまった。

そして、差別について、考えさせられた。

どの国にも、過去に犯した間違いや「恥」とされている過ちがある。アメリカにとってはそのなかで大きなものが「奴隷制」だろう。

奴隷制とそれに結びついた黒人差別について、アメリカは、一応それを「よくないもの」とする建前を共有することには成功している。奴隷のジャンゴを解放し、「自由人」として扱うドクターシュルツは、現在のわたしたちの良心を表しているのかもしれない(ちなみに、シュルツを演じるクリストフ・ヴァルツ『ビッグ・アイズ』の詐欺師役やってた人!演技すごい)。

しかし、アメリカが、実際にその恥ずかしい過去を完全に克服しているとは到底言えない。そんななかで、この作品を、例えば、黒人と白人が両方いる場で観たら、とても気まずい雰囲気になるような気がした。この作品で描かれているあまりにも不条理で不平等なありさまは、今完全に「過去の物」であり「フィクション」と言い切れるものではないように思ったから。 あと、さまざまな不公正を、例えば「差別反対」とか、「平等」と言う言葉でまとめて語ることの問題も感じた。そーゆーアプローチは決して間違っているわけではないんだけど、危険をもはらんだ表現だなと。例えば、上で書いた「アメリカの恥」としては、奴隷制以外に、日系人の強制収容などもあると思うし、平等を求める運動で言うと、ゲイの活動にも共通点がある。しかし、その個別の体験はものすごーく、異なっていて、全然一般化なんてできないんだなぁーって。カリフォルニアで、提案八号に反対する運動のなかで、「ゲイは新しいブラックである」というスローガンをあげる人がいて、批判されたことがあった。そりゃそうだよね。黒人差別は、もう終わった問題じゃないし、それに、ゲイの経験と、黒人の経験はまったく異なるんだから。

photo by hildeaux

「同じマイノリティ」と言うのは決して間違った言い方ではない。お互いに学べるし、共闘できるし、そもそも、それらの問題の根っこは、切り離せないくらいしっかり繋がってるんだから。でも「同じ」ところに力点をおきすぎて考えると、他のマイノリティの 特有の体験や苦しみを、さらに踏みにじることにもなりかねない。

映画のストーリーは痛快でよかったし、アクションもあってスカッとしたんだけどね。

見終わった後は、「いくら『解放奴隷』と言っても、この時代に、黒人の二人が幸せに生きていくことはできるのだろうか?」と考えこんでしまった。