#あたシモ

アメリカで働くレズの徒然

「エルサを放っておいて」#LeaveElsaAlone タグに対して感じるもやもや

 

 

アナと雪の女王 (吹替版)

 

 
アナ雪の「#GiveElsaAGirlfriend(エルサに彼女を!)」活動の件盛り上がってますね。
 
 
↑わたしも別ブログで記事書いたのですが、今、これに対する反動と言うか反対運動みたいな方が盛り上がってる感じで、特に日本語圏の反応を読んでいると、ものすごく微妙な気分です。
 
「エルサに彼女を与えて」と言うのは、何も文字通りそれを要求してるのではなくて、ディズニー映画がこれまで描写してきたステロタイプやその与える影響を踏まえての、より広範な要求なんですよね。
 
しかし、「エルサに彼女を与えて」タグを文字通り解釈したうえで、エルサに恋人を作ることに反対したり、「エルサを放っておいて」タグなどが盛り上がっているのを見ると、「こうやって同性愛的な表現を求める声は消されるんだよなー」と微妙すぎる気分になりました。
 
公式は公式で続編を考えているのだし、とりあえず、ファンがツイッターで盛り上がるくらい、よいのでは?と思ってしまいましたよ〜。単にファンがハッシュタグで盛り上がってるくらいで公式がストーリーを変えたりはしないと思うしね。仮に続編がゲイ展開でも、それはハッシュタグのせいとかではないと思うよ。
 
「エルサに彼女を!」タグがここまで盛り上がった理由は、この人たちは単にレズビアンのエルサが見たいわけじゃなくて(それなら二次創作でよいよね)、ディズニーが公式に多様なキャラクターを出すことが、今「社会的な要請」として大きくなっていることの表れだと思う。
 
だから、本当は「エルサに彼女を!」は文字通りの意味ではなくて「ディズニーはクィアキャラを出して!」なんだと解釈するべき。これまでも、ディズニーは、ステロタイプな女の子像を批判されてきたけど、少しずつ進化を遂げてきた。プリンセスは、ただ王子様を待つだけの弱い存在ではなくなった。まだまだ完璧ではないけど、人種も性格も将来の夢も、少しずつ多様なプリンセスが生まれてきた。そーゆー背景があって、次はLGBTやクィアなキャラクターを求める声が大きくなっている。
 
まぁここをきちんと分けた上で、「ディズニーはクィアキャラを出すべき!」「でも、アナ雪でやる必要はないだろう」と二段階で論じてる人は多かったんだけどね 。
 
それでも、やっぱり引っかかるところはあるんだよね。
 
「レリゴーの歌がゲイの話だけじゃない」というのは痛いほどわかるし、恋愛圧力が抑圧的なのはわかるし、独立したヒロインや、恋人がいない人の表象が必要なのもわかる。しかし、それを、「(現在存在しない)同性カップル表象を!」との願望を表す声を潰す形でぶつけてくるのは、結果的に現状維持につながる抑圧的に作用するだけだと思うんだよね。現在存在しないのに、何、ずーっとこのまま見えない存在でいろってか?と……そうでないのなら、エルサのゲイ展開に反対するだけでなく、LGBTQ、そして、それにとどまらないマイノリティのフェアな形でのメディアでの表象を増やすよう声をあげてほしい。
 
そもそもこんなに異性カップルが当然とされているなかで、まだ存在もしない「エルサの女の恋人」展開だけがカップル主義だ!とここまでシビアな批判のターゲットになるのはおかしいでしょ。これは、例えば婚姻の平等を求める声に対して、「婚姻の問題点」をぶつけていくことにも通じるのだけどさ〜。
 
「言ってることはわかるんだけど、今それを言うことが持ってしまう政治的意味をわかってるのかな?」と思ってしまいます。
 
普段からカップル主義批判や、Aセクシャルの可視化などについて関心を持っていたりする人が今回の件で懸念を表すならまだしも、そうでもなく普段から異性愛カップルネタを楽しんで消費しているような人が、エルサのゲイ展開を願うタグを受け、そのバックラッシュとして「カップル主義!」とか持ちだすとしたら、そこにはやはりホモフォビックなものを感じるしね。
 
まー、実はわたしも「アナ雪は明示的なゲイ展開にしなくてもよいと思う」派ではあったりします。
 
でも、あのハッシュタグが盛り上がる理由はものすごく納得できるし、それに反対する気にはならないのです。
 
5月7日追記:
 
「エルサを放っておいて」#LeaveElsaAlone タグに対して感じるもやもや - #あたシモ

GiveElsaAGirlfriedが言葉そのままの意味だけを持っているわけではないように、LeaveElsaAloneも単なるホモフォビアを意味しているわけではないのでは。英語よくわかんないけどLetElsaWantToDoとかなら誤解ない?

2016/05/07 22:02
 
というブコメがあったので、追記しておきます。確かに#LeaveElsaAloneのタグは文字通りに見ると、ホモフォビアを意味しているとは思いません。このタグの文字通りの意味(エルサを放っておいて)には、わたしも賛同していますし、エルサに恋人を作る必要はないと思っています。あくまでこのタグに対する「一部」の反応に対してもやもやしています。