エリット・サムナーだけでなく、ホランド・テイラーや、クリステン・スチュワートもそうでしたが、最近「隠してないから、カムアウトもしない」という意見表明が増えています。
カムアウトって、単なる「秘密の告白」として考える人もいます。ノンケの人が、何か秘密を告白する時に「カミングアウトォ!」とか言ったりするようです。こういうアプローチのバラエティー番組も観たことがありますし、そういう記事も読んだことがあります。
「カムアウト」「カミングアウト」という言葉も意味が広く知られるのはよいことだし、それとともに、LGBTQをはじめとするセクシャル・マイノリティについても知られてほしいなーと思うので、基本的に、そういうメディアの扱いにいちいち目くじらを立てたりはしません。
でも、わたしは、こういう「カムアウト=秘密の告白」型アプローチを見るたびに、心のなかで、いつもそこはかとない違和感を感じてきたんです。
確かに、カムアウトは、「相手の知らなかったことを言う」という側面があるにはあるとは思います。
でもさ、それを、あなたが知らなかったのは、常にわたしたちが「隠していた」せいなの?
意図的に、隠したりする場合もあるとは思います。でも、セクシャリティをある程度オープンにして「アウト」な生き方をするようになってくると、「別に隠してないし」みたい気持ちが強くなってくるんです。
だから、最近のセレブリティーが立て続けに、既存の秘密の告白型「カムアウト」概念を否定しながらも、自らのセクシャリティーについてオープンに話しているのを見て、「そうそう!!!!!そうだよ!!!!」と首がもげそうにうなずいちゃってます。
カムアウトは、あくまで「黙っていたら異性愛者/シスジェンダーだと勝手にされてしまう社会構造」に対する、異議申し立てであり、もしも社会がそういう「決め付け」をやめてくれるなら、「カムアウト」なんてわざわざしなくていいんです。
そもそも、「何も隠していない」LGBTに対して、勝手に「秘密を持っている」って決めつけて「秘密の告白(カムアウト)」の負担を一方的に押し付けるとか、おかしいと思いますよ。
わたしたちの側が隠したりしているわけじゃなくて、あなたたちが勝手に「異性愛に違いない」って決めつけてる場合もあるでしょう?って言いたくなる時があるのです。
【定期】「カミングアウトしてくれなきゃ、わかんないよ!」っていうのは、「カミングアウトをしてない人はノンケと看做す!」という宣言でもあるわけで。カミングアウトを促すのもいいけど、まず、その自分の頭にある決めつけをやめてみる、っていうだけでも、見える世界が違ってくると思うんだ。
— イチカワユウ (@yu_ichikawa) September 1, 2015
↑わたしがTwitterでこんなつぶやきを定期で流しているのには、そんな思いも込められているのです。