#あたシモ

アメリカで働くレズの徒然

ケイトリン・ジェンナーをネタにしたトランスフォビックな看板の撤去は「検閲」か?(ニュージーランド)

ニュージーランドのオークランド郊外でケイトリン・ジェンナーをネタにしたトランスフォビックな広告を出した広告会社が謝罪に追い込まれています(参考記事)。

What do you think of this advertising board in Auckland??? #smackyourface

Posted by Smack your face on 2015年12月1日

「クリスマス、あなたのフクロがわたしのものよりふくらんでいますように!」

"I hope your sack is fuller than mine this Christmas,"

これ、「sack」という言葉によって、クリスマスのプレゼントを入れる袋と、男性の陰嚢を掛けあわせているのですね。なんかジョークにしても質が低いというか対して面白くないこの広告、当然ながら、抗議の対象となりました。

この広告会社のオーナーであるフィリップガラッとさんはは、数回謝罪し、LGBTの若者のための団体「Rainbow Youth」へ1000ドルを寄付しました。しかし、同時に、フェイスブックで寄せられた苦情に対する返信で、こんなことも述べています。

「休憩を取って、自分自身を見つめなおし、ちょっとリラックスして、そんなに人生を深刻に考え過ぎないことですな。私はサンタさんの袋のことを言ってただけです。あなたの心こそがおかしいです」

"I think you may need to take a look at yourself and relax a bit and not take life so seriously. I was referring to a santa sack, your sick mind is the problem."

ぅわーお!さらに、この会社、ケイトリン・ジェンナーの看板を撤去したのですが、それも非常に微妙。

Censored, and yes we put the rubbish in the bin which is going to the landfill

Posted by Cranium Signage on 2015年12月1日

要は、表現の自由を制約する「検閲(censor)」をされたと主張しているわけです。呆れますね!自分の差別的表現が批判された時に、こうやってあたかも自分が被害者のようなポーズを取ることはよく行われることですけど、そういう人って「検閲」を何だと考えているんですかね?

そもそも「検閲」の本質は、公権力またはそれに準ずる権威による表現の封じ込めです。表現の自由は、民主主義の前提であり、非常に重要な要素であるにも関わらず、公権力によって簡単にコントロールされやすいからこそ、多くの国ではそれを制限する「検閲」が基本的には悪いものとされ、原則禁止されているわけです。その趣旨を忘れ、言いたいことを好きなように言って批判されたら「検閲ガー」っていうのは、筋違いだなーと思います。あと、いくら撤去したとしても、結局「何が批判されたのか」を理解していないということを表してしまってるなーと思います。

その後、より多くの苦情が寄せられたため、オーナーは改めて以下の様な声明をフェイスブックに掲載しています。

「オーナーとしては、わたしはゲイやトランスジェンダーのコミュニティーを差別する気持ちは持っていません。もしも自分の家族の一員がそうだったとしても、わたしは変わらず彼らのことを愛するでしょう。ケイト(ケイトリン・ジェンナーの愛称)は、いつでも我が家に泊まってください。わたしは喜んで彼女とワインやビールを飲みたいと思います」

"I as the owner have no feelings of discrimination to the Gay or transgender community and if one of my family was I would love them just the same," he wrote on Facebook. "Cait is more then welcome to stay at my house with my family anytime. I will have a wine or a beer with her quite happily and it would be an honor."

多分、このオーナーが「オカマを皆殺しにしろ!」系の人ではないでしょうし、「差別したつもりはない」というのも本心なのでしょう。

でも、大げさな「差別」のようには見えなくても、トランスジェンダーを冗談のつもりでちょっとからかったり、小馬鹿にして笑うような表現が身の回りにあふれていることは、当事者にとってはかなりキツいことです。

見過ごされがちな、「些細な」表現も立派な差別であり、それはより大きな構造的差別としっかり結びついているのです。それが批判されるのは当然ですし、商業的判断によって広告が取り下げられることがあったとしても、それを「検閲」と呼ぶのは、違うなーと思った次第です。

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