#あたシモ

アメリカで働くレズの徒然

レールを外れて生きること

Derail

なんか、皆が人生のレールについて語っているので。

わたしは、人生にレールがあるのかどうか知らないし、仮にあったとしても、人生のレールを外れて行きようが、レールに乗って行こうが、後で人のせいにして愚痴を言ったり、他人を害しなければ何でもいいんじゃない?と思う。

むしろ、わたしが驚いたのは、多くの人が、「大学までは出ておいたほうが」とか「自分の頭で考えたことなのか」とか!結構真面目に、自分でよいと思ったことをアドバイスしていることだった。

わたしは、自分と関係ない人が、何をしていても、どうでもよい。自分だったらそれはしないことを人がやってても、自分に関係ないのなら、ぶっちゃけどうでもよい。大学を出てた方がいいとか、学生の身分を捨てるのはもったいないとかは、自分の人生だったらこーするかなってだけの話であって、他人がどうしてても、自分的にはどーでもいいというか、相対的に自分の価値が上がるのなら、むしろ他人が愚かな選択をした方がよいのでは?とすら思ってしまう。それなのに説教したいというのは、何なんだろうね?

あ、それとも他人が愚かな選択をすると、社会の負担が増えるため、そーゆー結果的に自分には降りかかってくるコストを忌避しようとして「人類総説教」になるのかしら。

わたしも随分そーゆー説教を受けてきたし、自らの中でも昔は曖昧に思い描いていたメインストリームのレールの上を走りたいという願望はあった。

でも、最近気づいた。

レールから外れようがレールに乗ろうが、人はいつか自分の生き方を自分で見つけなければいけない。そこにはレールなんてないし、正しい答えもない。一番よいと思った選択肢が実はダメかもしれないってことは普通にある。

でも、その先にある幸せを手に入れるためには、「自分の頭で考えて、自分の大切にしてるもの、自分の人生でやりたいこと」を早く見つけたほうがよい。その見極めをしないままボーッと生きてても、後でしわ寄せが来るだけなので。

レールを外れられる覚悟があれば外れればいいし、レールに乗りながらうまいことやりたいならそれもいい。失敗してもいい。そこから学ぶことができれば。はじめからうまくいく人なんていないんだから。

万人に共通する正しい答えはない。自分で選んだ道を「これで良かったのだ」にできるよう頑張るのは自分しかいない。