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アメリカで働くレズの徒然

北条かやの「私はヘテロ女の痛みを生きている」が怒られる理由

本当は結婚したくないのだ症候群

「ヘテロ女」発言の何か悪いかわからない、という人へ

どうやら「ヘテロ女」がどうして怒られる(というか、批判される)のか、わからない人がいるようだ。

北条かやの「私はヘテロ女の痛みを生きている」が怒られる理由が不明

北条かや関連については、最近以下のように次から次へと話題が出てくる。

  • 緊急外来や医療費の問題 
  • 自殺未遂問題
  • ライターとしての資質の問題
  • noteの値段と炎上商法問題

ここでは、「ヘテロ女」発言の問題点、そして、そこに関連した差別について語る。

一応、増田の質問に対する簡潔版の答えというのはもう出ていて、↑このスクリーンショットに能町みね子が書いていることがすべてだと思う。しかし、これを読んでもわからないーという人のために、もう少し詳しく書いてみることにする。

前提 :「ヘテロ」と「性自認」は軸が違う

まずはここから。増田はこう書いてる。

ヘテロの痛みというのは、「どんな性自認であれ辛いことはあるよね」という意味だと思ったのでこれが怒られるのが理解できない。


「どんな性自認であれ辛いことはあるよね」というのは、まあ、事実。なんだけど、そこが「ヘテロの痛み」とつながるのがちょっと違う。

というのは「ヘテロ」というのは、性指向(性の対象がどのジェンダーか)の問題であり、性自認というのは、自分自身がどちらのジェンダーを自認するか、という問題ではないから。

分けて書くとこんな感じ。

性指向(セクシャルオリエンテーション)…誰を好きになるか?の問題

  • 同性愛(ゲイ)
  • 両性愛(バイセクセクシャル)
  • 異性愛(ヘテロセクシャル)
  • その他いろいろ

性自認(ジェンダーアイデンティティ)…自分のことをどう捉えているか?の問題

  • シスジェンダー(生まれた時の性に違和感を持たない)
  • その他(ジェンダークィアなどさまざまなスペクトラム)
  • トランスジェンダー(性別越境者)

性指向と性自認っていうのは、2つの別の軸の話なわけ。だから、シスジェンダーでヘテロセクシャルもいれば、ゲイもいるし、逆にトランスジェンダーヘテロセクシャルもいればトランスジェンダーでバイセクシャルという組み合わせもある。上では簡略して書いたけど、他もいろいろな要素がからみあってその人のセクシャリティを形成している。ま、複雑なんだけど、ここでは、「ヘテロかどうか」という話と「性自認」の話というのはつながらない、ということだけおさえておいてほしい。

ヘテロ女の痛みが存在するのは当然

さて「ヘテロ女の痛み」というのは当然存在する。これは当たり前。

ヘテロセクシャルであっても、辛いことはあるし、「シスジェンダー女にだって辛いことがある」そりゃそうだ。

それでは、なぜ「ヘテロ女」発言が問題視されるんだろう?

「ヘテロ女」が差別になる時

北条かやが「ヘテロ女」の痛みを持ち出すことは、一見すると、単なる自らについての事実の提示にすぎない。しかし、どの文脈で持ちだされたかによって、その発言は差別的となりうる。

例えば、国籍の話なんて全然していない場で「自分はXX人の痛みを生きているんだ」などと、国籍の話題が突然持ちだされたら、どう思う?え?なんで、そこで国籍の話が出てくるんだ?と不思議に思うよね。そんな時、大抵の場合「XX人」とか言い出す発言者の頭のなかでは「XX人ではない誰か」の存在が想定されている。

「ヘテロ女」も同じ。それまで性指向の話なんてまったく出てきていなかったのに、なぜ、北条かやは突然「ヘテロ」という言葉を出したのだろうか?そこには「ヘテロではない誰か」の存在が想定されていると思われる。

それって誰のことなんですかね?

能町みね子??え、でも、彼女ヘテロですよ。自分でもそう自認しているし、過去にも恋愛や好きなタイプについて繰り返し述べているので、彼女がヘテロであるということは取り立てて秘密というわけでもない。でも、それなら、なんで、北条かやは、なぜ自分と相手を隔てる属性として「ヘテロ女」などと持ちだしてしまったんだろうね?

さて、実は能町みね子は「元男」であり、性別適合手術と戸籍変更の体験を明かしている。おそらく、そんな彼女の過去が北条かやに「ヘテロ」というキーワードを想起させて選んでしまったんだろう。

しかし、冒頭で述べたように、性別移行をしたという「性自認の話」と、ヘテロかどうかという「性指向の話」は厳密には別の話だ。性自認と性指向に関する知識がないためか、わざとやってるのかはわからないが、「能町さんはヘテロではない」と思えるのだとしたら、それは能町みね子のことを「女ではない」と考えているからだ。無知か悪意。どっちにしろ、ろくなもんじゃない。

他人に対して「あなたは女だ」とか「女ではない」と、他人が決めつけることはそもそも失礼だし、それがその言葉がトランスジェンダー当事者(能町みね子本人はトランスジェンダーや性同一性障害という言葉を好まないとしているが)に向けられた場合、それはもっとも卑怯な差別でしかない。ジェンダー関連の話題について執筆活動をしているライターのものとしては、不適切極まりない発言だ。

だから、批判されている。>増田

少しはわかりやすくなったかな?

「そんなつもりはなかった」のだとしたら?

もちろん、以上は推論にすぎない。北条かやはこの質問に対して答えていないからね(直接向けられている質問に答えないという不誠実な態度もまた批判の対象となっているんだけど、長くなりすぎるので、ここではいいや)。

が、仮に北条かやが「そういうつもりはなかった」と反論したらどうか?っていうことについても書いておく。

北条かやが「ヘテロ女は、単に自分のことを述べたにすぎず、そこで『ヘテロでないもの』の存在など想定していなかった!」のだとしたら。それはもしかしたら真実なのかもしれない。北条かやはホントに何にも考えず、突然「ヘテロ女」とか口走ってしまったのかもしれない。そこをいきなり批判されたのならば、本人は驚いてしまうのかもしれない。ま、怖いよね。批判とか質問とか。

でも、それによって、上で書いたような分析があたらなくなるわけではない。だって、文脈とか周りの事情からして「そう読めちゃう」ことには変わりがないから。多くの場合差別的言動や表現は「そういうつもりはなかった」のに行われるパターンの総集だ。「そういうつもり」でなされる差別の方が少ないだろう。人は、ものすごく多くのものを「無意識」に抱えている。そして「無意識」の言動は、その人の考えについて驚くほど多くのことを教えてくれる。だから「批評」とかも生まれるわけでしょ。

人は、間違いを犯すし、過去は変えられない。
でも、未来は変えられる。
それが希望だと、わたしは思うけどね。

差別心は無意識に出る

能町みね子・雨宮まみによる北条かやへの抗議 - Togetterまとめ

さて、もういい加減長くなってるんだけど、ここまで来たので、もう一つ北条さんが怒られる理由についても書いておく。上のツイッターまとめを見ればわかる通り、北条かやの一連の炎上をめぐって「差別」が問題になったのは「ヘテロ女」の件が初めてではない。

今では「『こじらせ女子』の使用」だとか「自殺をほのめかすことの是非」が集中的に論じられているが、能町みね子が本格的に北条かやへの追求を始めたのは、飛田新地へ面接に行った北条かやが「清潔って思ってた」とレスされたのに対して「調査ですよー」というレスをしたことがきっかけだった。

風俗に面接に行く=不潔という差別的な発言に、そのまま乗っかる形で「調査ですよー(だから自分は清潔なままです)」とでも言わんばかりの返答。これも、一見、「自分からは積極的に差別発言をしていない」ように見えるが、これも、無意識に差別心を露呈している。

個人的には、性の商品化や女性の働き方について積極的に書いている北条かやのこの発言はもっと批判されてしかるべきだと思っている。その後数多くの論点が広がり、今ではこの問題についてはさほど批判されていない気もするが、大問題ですよ。

北条かやが、風俗で働く女性たちの調査をしたいと考えるのは結構。しかし、風俗を「清潔でない」とする価値観を、するっと受け流したままで「分析」できるものとは何なのだろう?働くつもりもないのに、繰り返し面接に行くことを「調査」として、そこで達成されるのは何なのだろうか?

「飛田新地にも詳しい私」という自己像か?

「風俗で働く女の子に対する興味」の充足か?

「否定しないこと」に現れる差別心

ちなみに、こういう何気ない応答に潜む差別心は、同性愛関連でもよく問題になる。「ゲイ疑惑」を否定するという行為自体が「ホモフォビアを温存する点で差別的」だと捉えられる時があるのね。そこで、多くの場合否定的なニュアンスを帯びている「ゲイ疑惑」追求に対して、あえてゲイであることを否定をしないというセレブリティたちの戦略が注目を浴びた。

自身にとってのシンプルな事実を表明しているだけのつもりでも、それが内面化した差別の吐露であり、またその結果(積極的な差別の意図がなくとも)差別的な現状に加担し、差別を追認してしまう、ということはよくある。だからそういう時、人はあえて自分についての事実を口にせず「XXだったらそれが何か?」と質問を投げ返すのだ。

北条かやに望むこと

もちろん、北条かやは別にアクティビストではないだろうし、別に社会を変えようとして調査してるわけでもないと思うので、差別やスティグマをなくすための活動にコミットするべきだと言いたいわけではない。

しかし、仮にも社会学を修めた文化人として、テレビや言論の世界で影響力を持つのであれば、ここで述べた程度のことには自覚的であってほしいし、まっとうな批判については、きちんと受け止める知性を持っていて欲しい。

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