#あたシモ

アメリカで働くレズの徒然

ロールモデルなかったよね……という話

ちょっと前に「Pink and Black Radio」のツイキャスを聴いていて、ロールモデルの話になったので、自分でも考えていた。あっロールモデルというのは、自分が生きていくうえでお手本になったり、模範となる人のことね。んで、考えてみたんですが「これがわたしのロールモデル!」と言えるような存在が全然思いつかない。

キュリー夫人 (ポプラ社文庫―伝記文庫)

いや、尊敬する人っていますよ?マリ・キュリーとかね!(ていうかいつまでも「キュリー夫人」て呼ぶのやめようよ!)昔から「尊敬する人」はこの人と決めてるんです。仕事上でもいますよ。この人のこういうところが好き!とかこの人のこういうところ、尊敬するわ!とか。でも、そういう人って大抵ノンケの男ばっかりで、別にクィア的な意味でかっこいいとかでは全然ないし、ヘタにフェミニズムの話したら、大げんかになる可能性すらある……。だから、わたしはある意味そういう人たちと深く語り合わなくてはいけない関係性まで親しくならなくてすむことをありがたく思ったりもしてるんだけど、まあその話はいいや。クィア女性で「この人の仕事はすごいよね」って尊敬できる人いるけど、プライベートでは人格破綻してるので、プライベートでは関わりたくない人とかもいるし。なかなか「ロールモデル」って難しいわけです。特に、セクシャリティ絡みでは「この人」というのが、わたしはなかなか見つけられなかった。

My Point...And I Do Have One

わたしが自分のセクシャリティについて考えはじめた時は、まだまきむぅや東小雪さんたちが出てくるより前だったし、アメリカでは大物の「エレン・デジェネレス」とかも、「誰?」って感じだったので、レズビアンといってイメージするものが本当にいなかった。

とりあえずインターネットや図書館で情報を調べたけど、そういう時にはやはり「この人ってどんな人なの?」というのをすごくすごく知りたかったよね。「セクシャリティに関する知識」自体が知りたかったというよりも、「これを書いてるこの人はレズビアンなのか?この人は誰で、どんな顔で、どんな生き方をしてるのか」ということばかりを知りたかった。 ネットの個人サイトでもいろいろな人がいるのがわかって面白かったけど、当時は「カップルサイト」とかが多くて、「自分との距離」を感じさせるものでもありました。まあセクシャリティしか共通点がない状態で、気が合う人とかお手本に出来る人を見つけられるわけじゃないよね。というのは大きな発見。

他にも、まあ歌手だったり、教員の人だったり、いろいろなレズビアン当事者の本を読んだりもしてみた。しかし、もともと知ってる人じゃないし、「これがレズビアンなのかぁ〜?」いまいちピンとこなかった。複数のレズビアンにインタビューした本も読んでみて、面白いは面白いのだけれど「うーん」。こちらでも、むしろ「わたしとは違う」感の方を強く感じてしまったというか……。す、すみません。

そしてその人の現在が「現在は心の調子を崩して療養中」的な感じだと、勝手にがっかりしてしまうところもあった。健康を害してしまうことは誰にだってあることだし、その人が悪いわけでもなんでもない。むしろ、カムアウトしている人がまだ少ない状況でカムアウトすることの社会的重圧やストレスを考えれば、調子を崩すことは当然と言っていいくらいだと思う。しかし、当時「元気に活躍しているレズビアン像」がなかなか見つけられなかったというのは、自分にとってはやはり落胆してしまうことだったんだと思う。

創作物の中に必死で「レズビアンっぽさ」を探した

しかし、当時あんな風にネットや本を読み漁っていたというのはやはりロールモデルに対する「飢餓感」みたいのがあったからだと思います。だから創作の世界にも「ロールモデル」を求めてました。

映画や文学作品ものすごい細かいところにも「これ、レズビアンっぽいよね?」と反応してたし、広告のビジュアルでほのめかされる百合っぽさとかにいちいちドギマギしてた。繰り返すけど「知識」というより「イメージ」が欲しかったのね。

具体的にはビョークの「All is full of love」とか。や、アンドロイドなんですけどねw

当時よく読んでいた英米文学のなかで、ヘミングウェイの短編『海の変化』とか……。

おいおい、微妙すぎるだろっ!って感じだけど、当時は必死だったのです。

『マリみて』との出会い

『マリア様がみてる』あたりで、ようやく「百合」を知りました。ハイ。

なんで知ったのかは忘れましたが……。やっぱりネットかな?そもそもコバルト文庫的なのには興味がなかったのですが、『マリア様がみてる』を知ってからは取り憑かれたようにどんどん買いあさり、中野やコミケで同人誌なども買うようになってしまいました。アニメは始まった時ちらっと見たのですが、ちょっとイラストと顔が違うのが引っかかって、結局観ることがありませんでした。

そして、わたしにとっては、この『マリみて』が、実在のレズビアンの自伝だったり、ライフストーリーだったりと同じくらい重要だったんですね。

考えてみると、『マリア様がみてる』の世界に存在するのは、あくまで姉妹(スール)制度であり、そこに描かれているのはレズビアン関係ではありません。唯一元祖白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の佐藤聖だけは、過去の回想という形でレズビアンキャラとされているけれど、あくまでファンタジー作品であり、LGBTとかクィアとかカムアウトとか存在しない世界ね。でも、当時のわたしにはそういうことはどうでもよかったのですね。既にLGBTの基礎知識的なのは頭に入っていたので、とにかく「マリみて」の世界に浸っていたかったし、それによってわたしの魂は必要なものを得ていたのかな?と思います。

『Lの世界』で人生変わった…のか?

そしてその頃遊んでいたアメリカ人の友達から『Lの世界』を教えてもらい、「これだっ!」と思ってアメリカに住もうと決めたのでした。ちゃんちゃん。←ものすごいはしょったw

まあ、アメリカに引っ越してきたらきたで「えっと……ここ、わたしが夢見てたロサンゼルスと違う?」っていうような話はザクザク出てくるのですが、そこはまた別の話になるので、改めて!

自分に特定の「ロールモデル」はいなかったけど、ネットとか創作物から、「お手本となるイメージ」は探していたよねーという話でした!

皆さんはどうですか?クィア的な意味でのロールモデルっていましたか?今わたしの回りに聴くと「ティーガン&サラ」が多い気がしますが、最近はどうなんですかね?クリステン・スチュワートとかなのかな?日本だとやっぱりまきむぅとかになるの?

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